小三史(史)
遅くなってしまったが今日は続きとしてまずは採用の経緯から
想定寧波では四喜和、三元和と表記してあるが
四喜には条件付で小があるのに<詳細は当役紹介時に>三元は大だけだった
小三元が役満じゃないのはこれが原因
という説も<それよりも2面子1雀頭じゃって国標麻雀はそれぐらいだったな(汗)>
小三元は二十二麻雀の役でも新しい方と聞いた事があるが
1910年代の異説では三暗刻よりも早いとのこと
ともかく三元に小が無いのはどういう事だと言うので採用されたようだ
二十二麻雀までは一飜で双箭刻<2つの三元牌の刻子>により実質三飜だったが
ブーの時代に二飜への繰上げによって実質四飜<ブーでは混老頭と並んで満貫>となった
それとMJで思い出したが混老頭とよく並ぶのに
こっちは珍役記録は残るが銀箱の対象外になっている
ビンゴのラスボスにも関わらずだ(憤)
天野大三の新現代ルールでは清一色と混老頭と小三元が同等になっている(同)
これぐらいなら昨日に纏めておけばよかったな(汗)