両ゾロ(両)

場ゾロ2回目は歴史をちょっと話すとしよう
現在の場ゾロは昭和20年代後期からだが
元々は賽子がゾロ目の時に限られていた
しかも2〜5では片ゾロ<小ゾロと称し一飜増し>で
両ゾロ<大ゾロと称した>になるのは1,6だけだった
なおゾロ目が出た場をゾロ場と読んでいた
 
やがて同じ手を和了ってもゾロ場で変わるのは
みみっちいと言うので統一されていくのだが
最初は役が少なく片ゾロも採用されていたが
大きい方がいいに決まってるとの事で両ゾロが主流になっていくが
まだ役が少なめだったか満貫は五飜半<両ゾロを含めて>の子6000親9000だった
しかし昭和30年代に入って役も増えてくると現在の様に子8000親12000となった
 
場ゾロは立直麻雀が発展途上の時に誕生するが
ブーには採用されてなかった
ただブーが東日本へと広まると片ゾロで計算するようになった
これを関東式と称し
これに対し本場は関西式と称してた
ただ名古屋は遅れて両ゾロが主流になってから
やるようになったのでこれを中京式となった
余談だが地元には中京クラブと言うブー雀荘があったらしい
 
今でも本場は無ゾロ<関西式>で計算しているが
漫画では読者が混乱しない為の工夫なのか両ゾロ<中京式>計算で表示されている
凌ぎの哲なんかでもブーの満貫は子8000親12000になっている(現)
 
忘れていたがゾロ場ルールは花札の八八に由来すると思われる
八八には場に出ている光札<20点>により収支が変化する
柳<雨>か桐のどちらかがあったら絶場で4倍
他の光札が1枚でもあれば大場で2倍
 
他にも花札と麻雀には以外な関係があるようだが
ついでに八八にも法度札と言い責任払いがある
これが放銃1人払い<放銃一家包>になった説もあるくらい
と言っても責任払いそのものは本場からあったルールではあるが(元)
言っておくが国標麻雀の役の分類で最も高いのが88点なのは偶然だからな(汗)