北風(北)

今日からガリ三麻を参照にしていくが早速だが番外編
それは三麻の北だ
三麻常に北家が欠席になっている
当然、北の扱いは変わってくる
それもいくつかパターンがあるのだが
その説明は後に置いといて
 
では三麻の歴史ではどうなっていったのか
まあガリ以外の話も出てくるから今回は番外編と言うわけだ
 
そもそも三麻は戦前の昭和一桁の時代に既にあって<へたしたら大正にもあった可能性が>
最初は北だけを抜いていた これをA三麻と称する
後に山4人分を3人で積むのは面倒なので数牌1種を抜く事になるのだが
昔は絵が解りにくいからか
索子が抜かれた<韓国ではこのルールが輸入されたので韓国の麻雀は索子が無い>
それと風牌の扱いも変わってくるからか残りの風牌も全て抜かれた
その代わり花牌の北にあたる物だけを
除いた6枚<中国では1聯2座8枚が標準だから当時は日本も2座あったようだ>を加えていた
さらに速和了対策として吃が不可になった これをB三麻と称する
 
当時はまだ二十二の時代なので総して二十二秋刀魚と称する
 
で北がガリになったのはいつからかと言われると不明なのだが
四国秋刀魚が誕生した時には既にガリはあったそうだ
 
最後に北の扱いのパターンを挙げる
ガリ これを採用した三麻が広義のガリ三麻
ガリ以外の扱いは以下に
三元牌のような共通飜牌
MJでは5以降<赤北を除く>から採用
●常ドラ
MJ3EVOのように赤くする場合もあるし
ガリじゃないから捨てて鳴き拾われる事も
×無所属の完全客風
MJ4がこれだったから北は粗末にされていた
 
忘れとったが
北を抜く時の発声はキタやぺーに単にガリもあるが発声すらしない事も
それと抜きは副露か否かというのも分かれる
 
さらに補足だがガリは純手牌ではないし面子外なので
烏<ガリが無い事>じゃなくても清が混になる事もないし
東天紅萬子を抜いても<染色和は成立する>
そしていずれも断幺九が成立する
 
北については明日も補足で(加)